大前提・「依存症」という病気 ②
以下は、依存症という病気についての私個人の見解です。
あくまで諸説ある中での一私見ですので、情報の正誤につきましてはご容赦ください。
今回は、依存症者が知らなければならない本当の問題点について考えてみました。
**依存症者が知っておくべき依存症の「本当の問題点」とは**
まず、
依存症は、不快な感情から逃れるために、嗜癖(依存対象)を使う病気だということ
です。
依存対象には、
アルコール・薬物などの〈物質依存〉、
ギャンブル・性行動・買い物・過食・仕事などの〈行為依存〉、
偏った人間関係のあり方などの〈思考習慣の依存〉
があります。
依存対象は違えど、仕組みは同じです。
一例を挙げてみます。
たとえば、アルコール依存の場合。
今日仕事でとても嫌なことがあった。
つらくても明日も仕事に行かなきゃいけない。(不快な感情)
↓
この気持ちをなくしたい。忘れたい。
↓
お酒を飲んで、忘れよう。
↓
気持ちよくなれた!酔ってる間つらいことを忘れられた!
↓
また嫌なことがあった。
飲まなきゃやってられない。今日も飲んで忘れよう。
(これが続く)
↓
飲まないと仕事に行けなくなる、仕事に行かずに飲み続ける、心身ともに体調を崩してしまう、など。
などです。
これを人間関係依存に置き換えると、
仕事でとても嫌なことがあった。
つらくても明日も仕事に行かなきゃいけない。(不快な感情)
↓
この気持ちをなくしたい。忘れたい。
↓
誰かになぐさめてもらって、忘れよう。
(逆になぐさめることや暴力で支配することなどで忘れようとする人もいます)
↓
気持ちよくなれた!なぐさめてもらってる間つらいことを忘れられた!
↓
また嫌なことがあった。
誰かに気分をよくしてもらわなきゃやってられない。今日も誰かになぐさめてもらおう。(これが続く)
↓
なぐさめてくれる誰かがいないと仕事に行けなくなる、仕事に行かずに誰かを求め続ける、心身ともに体調を崩してしまう、など。
などとなります。
※これは一例ですので、すべてこのサイクルにあてはまるとは限りません。
最初の不快な感情は、仕事でなくても、家庭や学校、仲間内など、あらゆる環境や場面で起こりますし、誰でもこのようなことをしたことがあると思います。
問題となるのは赤字部分です。
こうなると周りの人々になんだか様子がおかしいと気づかれ始め、
さまざまな人との関係が悪くなっていくことが多いかもしれません。
ちなみに私(共依存・偏った人間関係のあり方などの〈思考習慣の依存〉)の場合、
生活のために仕事は行っていましたが、
精神状態が著しく悪く、うつやそれに近い状態が続いて、
薬を飲みながらなんとか働いていました。
周りには気づいてくれて心配してくれる人もいましたが、
最終的にはどんどん私から離れていきました。
職場や人間関係が何度変わっても、結局同じ状態に陥り、
とても苦しく孤独に感じて生きていました。
不快な感情に対応するために依存対象を使うのですから、
不快な感情への別の対応方法を考えることなしでは、
いくら反省や後悔をして意志を固めても、元の状態に戻ってしまう、
これが、「依存症の本当の問題点」だと私は思います。
読んでくださり、ありがとうございます。
それでは、また。
大前提・「依存症」という病気 ①
これから少し時間をかけて、依存症という病気についてまとめてみようと思います。
まずは、日本で依存症がどう認識されているのかを調べてみました。
以下は厚生労働省のホームページから抜粋しました。
私の印象ですが、アルコールや薬物、ギャンブルの依存症者が日本では多く、
その家族や近い関係の方に向けてわかりやすく書かれているな、と思いました。
ただ当事者としては、「依存症者が知っておくべき本当の問題点」が書かれていないのが少し残念かなと思いました。
詳しくはまた。
今回も、
読んでくださり、ありがとうございました。
それでは。
負の感情のループ
前回書いた、「やめたいのにやめられない」私の問題行動。
知識を得た今、それが脳の「渇望」であり、精神的な「強迫観念」だとわかりましたが、
以前は、根本的な解決策(そんなものあるなんて思いもしなかった)も知らず、自分のことを嫌い嫌いと責めることしかせず、ネガティブな感情だらけで本当に苦しかった。
自業自得なことはわかっていても、
どうして私はいつもこうなのか、
性格が悪すぎる、
生きている価値なんてない、
死にたい、
でも死ぬ覚悟ができない、
意志の弱いこんな人間は最低だ、
と、考えの沼にはまっていました。
今でも波が来ると負の感情のループに支配されるときはあります。
前と少し違うのは、「そう思っても仕方ないか」と思えるようになったことです。
直前の出来事や、体調、ホルモン周期など、左右される要因がたくさんあることに気づけるようになりました。
私にとって、これは大きな大きな進歩です。
ただ、ずっと不安があります。
今は大丈夫だけど、いつかまた以前のような闇に落ちてしまうのではないか。。。
「不安も私の一部」と思える今に感謝しよう、と言い聞かせています。
読んでくださり、ありがとうございます。
それでは、また。
今の私
私が今、自分の問題だと思っていることは、
・他人を自分の思い通りにコントロールしたくなる
・自分が何を感じているのか、必要かがわからない
・自分が本心から感じていることを簡単に変えたり打ち消したりする
・何事も決定したくない
・自分自身が愛されるに値する、価値のある人間だと思えない
・健康な優先順位や境界線がわからない
・他人に近づき自ら引き寄せるのに、相手が近づいてくると逃げたくなる
・他人と距離を置く方法として、親密さを持たないように避ける
・他人の感情に気をつかいすぎて、自分もその感情に染まってしまう
・自分を傷つける人間関係からも、なかなか離れられない
・自分も他人も完璧な状態が一番正しいと決めつけて批判する
・他人からの承認や受け入れがないと、自分の立ち位置がわからない
・自分が人の役に立たないことを認めるのが怖い
・十分に考慮した上で行動を選択することをせず、脊髄反射的に反応してしまう
・他人の目に自分が正しいと見える必要があると思っていて、自分がよく見えるようにウソをつく
などがあります。
たぶんですが、健全な方でも、多少のこういった感情や経験はあるのだと思います。
それでも、私がこれらのことを問題だと思うのは、
「やめたくてもやめられない」からなのです。
我慢や忍耐、意識することなど、問題行動を感じるたびに対策がないかと試行錯誤してきたのですが、どれもうまくいきませんでした。
その瞬間になると、理性というか頭で考えていたことは真っ白になってしまい、
反射的に、勝手に反応する形で、行動してしまうのです。
読んでくださり、ありがとうございます。
それでは、また。
はじめまして
はじめまして。
はむ子と申します。
毒親(アダルトチルドレン)と共依存からの回復途上の日々を、分かち合いをするように、少しずつ、正直に、つづっていきたいと思います。
まだまだ回復途上です。
共依存について一般的には、依存症者の家族やパートナーがなる病気として捉えられているかもしれません。
私もきちんと知る前は、「共依存」と聞くと、恋人や家族がいわゆる“毒”なのに別れられない、離れられない関係や状態のことかな、と思っていました。
私自身は、アルコールや薬物、ギャンブルなどの依存症の家族やパートナーがいたことはありません。
でも、私は私自身を共依存者だと思います。
人間関係についての問題を抱えています。
それでは、また。
読んでくださり、ありがとうございます。